History 宇部72㏄の歴史

クラブの歴史The history of the club

1959年10月28日

阿知須コース起工式

「宇部にもゴルフ場を」の声が実り、阿知須町の西北部源田畑の松林におおわれた丘陵の地に、阿知須コースが設計され、現地で起工式が行われた。

阿知須コース起工式

1960年10月29日

阿知須コース アウト開場

アウトコースのオープンとクラブハウスの落成披露が盛大に行われた。

1969年6月7日

万年池コース本開場

万年池湖畔をめぐる新コースは18ホール、6938ヤード(パー72)。
中安理事長がテープカット、岸元首相の始球式により本開場した。阿知須コースとあわせて、36ホールズのチャンピオンコースとなる。

万年池コース本開場

1975年10月1日

万年池西コース本開場

起工式からわずか11カ月の短期間に18ホール、6828ヤード(パー72)の万年池西コースが完成。同年3月18日に地鎮祭を行ったクラブハウスも同時に完成し、岸元首相をはじめ多くの来賓を迎え記念式典が行われた。
万年池西コースの開場により、200万坪におよぶ広大な敷地の中、それぞれ趣の異なった3つのコース、54ホールを擁する西日本最大のゴルフ場となった。

万年池西コース本開場

1976年5月20日~23日

万年池コース

第5回ペプシウィルソントーナメントをはじめて開催
54ホール完成を記念して、当地で初めて日本ゴルフ界のビックトーナメント・ペプシウィルソントーナメントを開催。2日目が雨のため中止となり3日間54ホールに短縮されたが、最終日はP・トムソン、G・マーシュ、B・ジョーンズ、宮本省三の4人によるプレーオフ。史上まれに見る14ホール2時間にわたる熱戦の末、P・トムソンが優勝した。優勝賞金500万円(賞金総額2500万円)

万年池コース

1995年6月22日~25日

万年池西コース

第28回日本女子オープンゴルフ選手権競技
日本における女子ゴルフ界の最高峰のメジャートーナメント・日本女子オープンが万年池西コースで行われ、塩谷育代が通算3アンダーで大会初優勝を飾り、悲願のタイトルを獲得した。ビッグプライス920万円を手にした。西日本地区では3回目の大会とあって、華やかな女子のプレーをひと目見ようと、連日ゴルフファンが足を運んだ。

第28回日本女子オープンゴルフ選手権競技

1998年11月26日~29日

万年池東コース

第8回日本シニアオープンゴルフ選手権競技
日本のシニアゴルフ競技の最高峰。青木功の5連覇なるかで話題となった。競技は当地になじみの深いG・マーシュが初日から首位に立ち、通算14アンダーで同大会の初優勝を飾った。2位は10アンダーの中山徹、青木はマーシュから5打差の3位に終わった。優勝賞金は750万円。

第8回日本シニアオープンゴルフ選手権競技

1999年8月1日

2000年秋の江畑池コース開場を控え、
宇部カントリー倶楽部から、宇部72カントリークラブと名称を変更した

2000年11月6日

江畑池コース一般営業開始

2001年11月1日~4日

江畑池コース

第30回宇部興産オープンゴルフトーナメント
30回のメモリアル大会。優勝はD・ウイルソン。今大会でプロゴルフトーナメント開催の幕を閉じた。

第30回宇部興産オープンゴルフトーナメント

2011年10月6日~8日

第66回国民体育大会「おいでませ山口国体」開催

万年池東コースで成人男子、万年池西コースで女子の競技が行われた。

2016年11月16日~18日

万年池東コース

第21回日本ミッドアマチュアゴルフ選手権競技
曇天の中でのスタートとなった最終ラウンド。最終組の3名が壮絶なデッドヒートを繰り広げ、通算-3で庄司由選手が初優勝を果たした。

第21回日本ミッドアマチュアゴルフ選手権競技

宇部興産オープントーナメント
(ペプシトーナメント)の歩みThe history of Ube Industries open tournament (Pepsi Tournament)

第1回 ペプシトーナメント

1972 横浜カントリークラブ 西コース
優勝 279ストローク P.トムソン(豪)

国内トーナメント最高の賞金総額2000万円で開催。
P・ トムソンの逆転優勝。

第2回 ペプシトーナメント

1973 横浜カントリークラブ 西コース
優勝 281ストローク 青木 功(日本電建)

前日までトップの青木は最終日ポギーを連発、5オーバー77と不振。通算7アンダーで島田幸作と並ぴプレーオフ。
7ホールにわたる闘いの末、青木が勝ち、今季3勝目を飾った。

第3回 ペプシトーナメント

1974 片山津ゴルフ倶楽部
優勝 284ストローク G.マーシュ(豪)

最終日、謝永郁とG・マーシュが通算4アンダーで並びプレーオフヘ。4ホール目でバーディを奪ったマーシュが競り勝ち、3週連続優勝を達成。

第4回 ペプシウィルソントーナメント

1975 横浜カントリークラブ 西コース
優勝 283ストローク 謝 永郁(台湾)

最終日4位スタートの謝永郁はこの日70とスコアを伸ばし、通算5アンダーとし逆転で念願のツアー初優勝。昨年のプレーオフで敗れたG・マーシュを振り切り見事雪辱を果たした。

第5回 ペプシウィルソントーナメント

1976 宇部カントリー倶楽部 万年池コース
優勝 211ストローク P.トムソン(豪)

初めて宇部CCで開悩された。P・トムソン、G・マーシュ、B・ジョーンズ、宮本省三の4人のプレーオフ。14ホール2時間にわたる熱戦の末、P・トムソンが優勝。

第6回 ペプシウィルソントーナメント

1977 横浜カントリークラブ 西コース
優勝 274ストローク 尾崎 将司(日本興業)

最終日、尾崎将司、郭 吉雄(台湾)、村上 隆の激しい首位争いから尾崎が猛チャージをかけ、通算14アンダーで優勝。尾崎は今季初勝利。プロ通算33勝目を達成。中村寅吉が持つ、設多勝利記録にタイと並んだ。

第7回 ペプシウィルソントーナメント

1978 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 275ストローク 尾崎 将司(日本興業)

尾崎が今季初優勝。しかも逆転で2年連続優勝を勝ち取る。青木功、島田幸作との三人の争いを制して、これで最多勝利記録更新の37勝目を達成。

第8回 ペプシウィルソントーナメント

1979 八戸カントリークラブ
優勝 274ストローク M.アエ(ビルマ)

アエは4年ぶりの日本での2勝目を意諜して最終日に73を叩いたが、初日からの貯金がものをいい逃げ切り。肯木らは強風で追い上げできず。

第9回 ペプシウィルソントーナメント

1980 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 276ストローク 鈴木 規夫(城島高原)

青木、マーシュ、謝敏男、鈴木の4人の争いは最終日に 鈴木が逃げ切り、見事優勝。優勝賞金500万円を手にした。

第10回 ペプシウィルソントーナメント

1981 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 270ストローク G.マーシュ(豪)

最終日7パーディ、1ボギーの66でG.マーシュが大逆転。通算18アンダーで優勝。追い上げた羽川はこの日64を出すも1打及ばずの2位。

第11回 ペプシ宇部トーナメント

1982 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 277ストローク 新井 規矩雄(アデランス)

日本ペプシコーラ社との共催となり、 冠が「ペプシウイルソン」から「ペプシ字部」へと名称変更した。

第12回 ペプシ宇部トーナメント

1983 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 274ストローク 金井 清一(ダイワ精工)

好コンディションで58人がアンダーパーというバーディラッシュの初日で幕開け。4日間とも着実にスコアを縮めた金井が通算14アンダーとし、追い上げた井上幸一に2打差をつけ優勝。

第13回 ペプシ宇部トーナメント

1984 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 272ストローク 船渡川 育宏(南部富士)

最終日のアウトを31で回った船渡川がインでもスコアを伸ばし、16アンダーで2年ぶりの優勝。2打差の2位には尾崎直道と新井規矩雄。

第14回 ペプシ宇部トーナメント

1985 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 268ストローク 陳 志明(台湾)

最終日いきなり3連続バーディを奪った陳がこの日も66をマークして、2位高橋勝成に4打差をつける20アンダーで優勝。

第15回 ペプシ宇部トーナメント

1986 宇部カントリー倶楽部 万年池北コース
優勝 276ストローク 尾崎 直道(日本興業)

尾崎直道が最終日に猛チャージで小林富士夫を逆転。通算12アンダーで今季初優勝を飾った。

第16回 ペプシ宇部トーナメント

1987 宇部カントリー倶楽部 万年池北コース
優勝 278ストローク 陳 志明(台湾)

通算10アンダーで並んだ陳と牧野がプレーオフの末、 陳が1ホール目でバーディを奪い優勝。国内通算5勝目を飾った。

第17回 ペプシ宇部トーナメント

1988 宇部カントリー倶楽部 万年池東コース
優勝 169ストローク 近藤 守(八房)

他の選手のスコアが伸ぴ悩む中、近藤は着々とスコアを伸ばし1打差で倉本を振り切り、ツアー初優勝。大会2日目と最終日のアウト9ホールが中止となり大会は45ホールに短縮された。

第18回 ペプシ宇部興産トーナメント

1989 宇部カントリー倶楽部 万年池東コース
優勝 203ストローク 横山 明仁(マザー牧場)

横山、新関のプレーオフの末、 横山が涙の通算2勝目を飾った。冠が「ペプシ字部」から「ペプシ宇部興産」へと名称変更した。2日目は荒天により中止。

第19回 ペプシ宇部興産トーナメント

1990 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 203ストローク 中村 忠夫(金沢)

2日目が荒天により中止。54ホールに短縮された。最終日に中村が66の好スコアを出し、通算10アンダーとし優勝。

第20回 ペプシ宇部興産トーナメント

1991 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 274ストローク 陳 志忠(台湾)

20回大会を記念して、賞金総額が6000万円から8000万円に。3日目藤木が日本記録に後一つという10アンダー61をマークしトップとなるも、最終日に崩れ、かわって陳が逆転優勝。日本ツアーでの3勝目を挙げた。

第21回 ペプシ宇部興産トーナメント

1992 宇部カントリー倶楽部 万年池北コース
優勝 275ストローク 中島 常幸(ミズノ)

中島、初日から一度もトップを譲らず完全優勝。妹の恵利華プロがキャディーを務め話題となった。

第22回 ペプシ宇部興産トーナメント

1993 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 264ストローク 丸山 茂樹(フリー)

プロ2年目の丸山茂樹 (23歳)が大会最少ストロークタイの20アンダーで逃げ切り、ツアー初優勝を飾った。

第23回 ペプシ宇部興産トーナメント

1994 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 268ストローク 中島 常幸(ミズノ)

初日から首位の中島が最終日もスコアを伸ばし、通算16アンダーで逃げ切り、今季3勝目。ツアー通算44勝目を達成した。本大会でも1992年に続く2勝目を達成。

第24回 ペプシ宇部興産トーナメント

1995 宇部カントリー倶楽部 万年池東コース
優勝 206ストローク 日下部 光隆(祁答院)

最終日は雨で中止。大会は54ホールに短縮され、3日目一気に66をマークした日下部が通算10アンダーのままプロ4年目で初優勝を手にした。賞金は75%となり総額6000万円となった。

第25回 ペプシ宇部興産トーナメント

1996 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 264ストローク 田中 秀道(信和ゴルフ)

2日目から首位に立っていた田中が2打差を守り、逃げ切り優勝。本大会3勝目を狙った中島常幸はB.ワッツとともに2位に終わった。

第26回 宇部興産オープンゴルフトーナメント

1997 宇部カントリー倶楽部 万年池西コース
優勝 267ストローク 森 茂則(キーコーヒー)

字部興産の単独開催とし、「宇部興産オープンゴルフトーナメント」と名称変更。創業100周年を記念し、「地域との共生」をコンセプトに掲げ、オープン競技となった。賞金総額も8000万円から1億円にアップした。

第27回 宇部興産オープンゴルフトーナメント

1998 宇部カントリー倶楽部 万年池東コース
優勝 271ストローク B.ジョーブ(米)

B. ジョーブが通算17アンダーで逃げ切り、2週連続優勝で日本ツアー5勝目を挙げる。本大会2勝目を目指した丸山茂樹は惜しくも2打差の2位に終わった。

第28回 宇部興産オープンゴルフトーナメント

1999 宇部カントリー倶楽部 万年池東コース
優勝 272ストローク 崔 京周(韓国)

崔京周は一時1打差まで迫った細川和彦を振り切り通算16アンダーで逃げ切り優勝。日本ツアー3戦にして2勝目を達成。

第29回 宇部興産オープンゴルフトーナメント

2000 宇部72カントリークラブ 江畑池コース
優勝 276ストローク 深堀 圭一郎(TSUTAYA)

この年、4コース目の江畑池コースが完成し、字部CCから字部72CCへ名称変更。開催時期を春から秋へ移動し、賞金総額も1億円から1億4000万円として、名実ともにピッグトーナメントに仲間入りした。江畑池コー スのこけらおとしとして開催された大会は、最終日3打差7位でスタートの深堀が通算12アンダーで逆転優勝。江畑池Cの初代チャンピオンとなった。

第30回 宇部興産オープンゴルフトーナメント

2001 宇部72カントリークラブ 江畑池コース
優勝 276ストローク D.ウィルソン(米)

30回目のメモリアリ大会、ハワイオワフ島出身で母親に日本人を持つD・ウィルソンが接戦を制した。今大会でゴルフトーナメント開催の幕を閉じた。

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